「語学のためではない留学」が語学を磨く
日本人にとって、英語は一生かけても解けない宿題のようだ。英語のために英語を学ぶ。そんな日本人がなんと多いことか・・・私は2年間のイギリス留学を経て、そうした英語への向かい方が大きな誤りであることを実感しました。
私はマンチェスターにある音楽大学の大学院に通っていましたが、その記念すべき最初の授業で「子供に音楽を教えるために何が一番重要か、1人ずつ前に出て発表しなさい」と言われました。教授の口からその言葉が発せられた後、私は青ざめ、まさに「心臓が口から飛びだす」ような緊張を味わいました。今でもこのときの感覚は忘れません。実は教授が言った指示が、果たして本当にそのような意味であるかさえも、その時は自信がなく、確認する会話力も持ち合わせなかったのです。
すぐさま威勢の良いイギリス人が自ら名乗りを上げて前に出ました。当然ながら流暢な英語で自信満々に持論を話し始める姿が、私を含め数名の留学生をさらなる緊張へと追いやりました。教授に促され、私も前に出て何かを伝えようとしましたが、思うように口から英語が出てこないことに、さらに緊張が増し、結果、散々な発表になってしまいました。
しかし、今思えば、この何とも悔しい体験が、留学中に持つべき「意識」がいかなるものかを気づかせ、その立ち位置を決定させたのだと思います。留学前、イギリスに行けば、専門のピアノはもちろん、英語も上達するであろう、と甘く考えていましたが、この経験で、もはやこの留学は「英語を上達させるため」のものではなく、どんなレベルであれ「英語を使わないと」学生生活がおくれないことに気づきました。生徒のほとんどが欧米人という環境で、恥を忍んで英語でプレゼンを行い、エッセイを書き、必死に食らいついていく以外方法がないと覚悟をきめることになりました。
子供たちに英語を教えている今、「英語を使わざるを得ない環境に身を置くこと」こそが語学上達の近道であると確信しています。「英語を勉強すること」自体が目的である語学留学と、言葉以外の何かを極めるために英語を使わざる得ない環境で学ぶのでは、そもそも本質が異なる気がします。日本では、英語はそれ自体が目的の学問的要素が強いのですが、実際は意思疎通のツールですから、伝えるべき何か、聞くべき何かがある会話こそが、訓練となっていくのです。
マンチェスターといえば、世界的な名門サッカーチームであるマンチェスターユナイテッドに2012年に移籍した香川真司選手を思い出します。当時は海外の有名クラブチーブを渡り歩くサッカー選手の中でも、最高の出世コースを歩むともてはやされた香川選手も、英語で苦労し、思うように監督やチームメイトとコミュニケーションが取れなかった話は有名です。サッカー一筋で生きてきた彼にとって、語学力は二の次の能力だったのでしょうが、何かのジャンルを世界的に極めていくためには、やはりことばの壁に直面するのも事実です。EFFECTの生徒には、「英語を勉強する」 という段階を乗り越えて、将来ぜひ次のステップに足を踏み入れて欲しいと思います。