未来につながる理想の英語教育

かわいい子には旅をさせよ

かわいい子には旅をさせよ

私は今日まで、海外で約10年間生活しました。シンガポールで5年、豪州シドニーで5年、香港に1年弱。駐在員から独立起業し、通信会社や英語学校を経営するなか、実に様々な経験をすることができました。EFFECTでは生徒たちも保護者のみなさんも海外生活の長い人たちが多いので、面談やセミナーの際にいろいろな教育上の話し合いをさせて頂いても互いに共感でき、課題を共有できることが多いのですが、海外生活って異文化に触れてワクワク、ドキドキで、楽しく有意義な反面、結構孤独で厳しいものなのです。 今まで自分が積み上げてきた経験や学びが思うように発揮できない、分かってもらえない。当たり前だった常識ややり方が理解されないし、彼らの価値観や考え方も理解できない。特に最初の数年間は、言葉が十分通じない中で、異なる文化と人々の中に“外部者”として入り込み、生活していくわけですから、その試練は経験したものしかわからないものがあります。話している言葉以上に自分を表現できないし、分かってもらえない。レベルの低い英語表現は、そのまま自分の知的レベルと判断されかねないし、ネイティブ同士の本気のやり取りを十分理解できない。言葉は単なるツールとは言え、やはり思考や意思伝達、共通理解のための最も基本的で重要なツールなのです。異文化社会、いや相手のネイティブ社会の中では、このハンディーは本当に大きなものがあります。そこで壁を乗り越えていく体験は、たとえ大人でもその後の人生を変えていくだけの大きな影響力があります。 「かわいい子には旅をさせよ」「他人の釜の飯を食べる経験をさせよ」と昔から言われます。グローバル化が進み、あらゆる問題が国境を超え、文化を超え、言葉を超えていく、これからの国際社会を生きていく子どもたちにとって、多感な年代での留学ほど大切な経験はないのではないかとつくづく思います。親から離れる、ホームステイなど気を使う環境で暮らす、前述のように言葉の壁や文化の壁に四苦八苦する。そして最も素晴らしいのは、高校生や大学生といった社会的利害関係のない純粋無垢な年ごろに、同年代の外国人たちの中で学生生活を送る。達成すべき目標は、学位や単位であったり成績であったり、TOEFLやIELTSなどのテストであったり、いずにしても明確である。精神的には厳しい壁と戦わなければならないが、異文化に触れて発見する興奮や楽しみ、言葉を習得していく喜び、分かりあえる友人や支えてくれる大人たち。一方向だけを向いて逃げ場のない世界を生きる煮詰まった閉塞感から解放された自由な感覚(日本人独特かもしれませんが)などなど、子どもたちの成長と将来のために、ぜひとも経験させたい多くの要素であふれているのが留学です。 昨年フランスに長期留学で旅立った高校2年生の教え子から、先日以下のようなメールが届きました。少し長いですが、一部引用いたします。 「現地校に通い始めて、もうすぐ一ヶ月経ちます。高2の授業は専門用語が多く、理解出来ないので、初めの一月間は中学1年生と授業を受けさせてもらうことにしました。英語と数学のみ、同い年と受けています。フランス語については、年下の授業ということもあり、授業内容が容易なので、板書やプリントを辞書を使いながら必死に読んで、なんとか理解しようと努めています。授業外では、中学1年生はまだ英語を話すことが出来ないので、フランス語を話さざるを得ない状況にあり、彼らと話すことは会話の良い練習になっています。又、家では日本の文法書を使用して勉強し、新聞やテレビを積極的に聞くようにしています。日本の高校の試験勉強で精一杯で簡単な挨拶と数字くらいしか分からない状態でフランスに到着しましたが、英語という外国語を1度経験したこともあり、進度は早いです。来週から仏検準2級の教本を勉強し始め、11月に受験出来ればと考えています。(中略)ところで、今回メールをさせて頂いた理由は、高2の中で受けている英語の授業に苦戦しているからです。英語の授業は殆どフランス語なしで行います。まず一つ目に、ヨーロッパという理由からBritish Englishです。先生や生徒の発音、スペルが日本でやっていたAmerican Englishと違い、慣れない毎日です。更に、日本の学校の授業では文法を中心にやっていました。しかし、こちらの学校の授業は長文読解がメインです。日本で英検2級を取得しましたが、恐らく周りの生徒は準1級の読解力は持っているように思われます。例えば、前回の単元はアボリジニーについてだったのですが、あまり流暢に英語を話せない生徒でも、難しい単語をスラスラと理解しており、意見を求められたら、日本では簡潔さを重視されていましたが、まるで教授のように長い文でそれぞれの意見を主張します。また、リスニング力も高いです。私は中学に入学してから今まで、日本の教育を受けてきて、ただ授業に参加していただけで、思考力が足りないようにも思います。(中略)長い文章になって申し訳ありません。全く急ぎではございませんので、お時間のある時にお返事を頂くことができたら光栄です。」 フランス語と英語の中で必死にもがきながら、壁を乗り越えていこうとしている彼女のメールは、海外生活を始めて間もないころの感覚を思い出させてくれ、感慨深いものがありました。多くの発見とともに一つの壁を乗り越えて、自信と希望に輝く笑顔で帰国してくれる日を楽しみにしています。 私たちは、特に異文化にふれあう機会の少ない日本人は、今の生活や社会から離れて暮らして、初めて日本が見えてきます。それは大人も子どもも変わりありません。離れて初めて“俯瞰”できるのです。日本は素晴らしい国ですが、あまり考えずに皆が同調し、同じ方向に走り出す風潮があり、それは政治や経済、文化などのあらゆる分野で見られます。そして、その中で生活している一人ひとりに、知らず知らずのうちに「そうじゃなくちゃいけない」とか「これしかない」といった紋切り型で多様性のない、懐の浅いものの見方や考え方、感じ方を植え付けているように思います。単一民族、単一文化で異なるものと交じり合うことの少なかった社会独特の閉塞感、ひっ迫感、圧迫感があるのも事実です。 私は、若いうちにこのクローズドな感覚から解放されて、自分たちの育ってきた社会を外から見つめて暮らす経験をすれば、日本の若者たちは、もっと多面的、長期的に物事を捉えるようになり、積極的で、自由闊達な明るい人生を歩み、国際社会をリードしていくと確信しております。一つの国の生活しか知らないのと二つの社会を経験しているのでは天と地の違いがあります。二つの異なる国や文化を経験した者は、三つ目や四つ目もイメージでき、適応でき、配慮し、共感できるようになるものです。そして、きっと彼らは国境を越えて、自分たちの将来を描くようになるでしょう。そういう若者たちを育てていくお手伝いができれば、私はこの上ない幸せです。